
皆さんは『侍タイムスリッパー』という映画を見ただろうか?
予告の時点で気になってたこの映画、金銭面や予定、そもそもの上映数の少なさの関係で中々観に行けてなかったのだが、今日(12/2)やっと観に行きました。
いやーーーーーー、本当にいい映画だった。
基本アニメや特撮くらいしか映画館に足を運ばないボクなのだが、そんなボクが見ても本当に引き込まれる作品でしたね。
そんなわけでこの映画の感想などを今回は書いていこうと思います。
本ブログはネタバレを含みますので予めご了承ください
一応ネタバレの項目部分にはもう一回書くけどね
あらすじ
時は幕末。
会津藩士・高坂新左衛門は長州の山形彦九郎を討つように命じられ、京都で仲間の村田左之助と共にそれを実行しようとしていた。遂に山形彦九郎と対峙しお互いに斬るか斬られるかの時に突如落雷が直撃。気が付くとそこは江戸の街だった。その江戸の街に疑問に思う新左衛門。なんとそこは幕府崩壊から140年後の現代、しかも時代劇を撮影している場所だった。
本作の感想
この映画、本当に面白かったなと思うのと同時に、すごく丁寧に作品に惹き込まれる撮り方をしているなと思う映画となっていました。
とにかくフィルムが丁寧で、笑ってほしい所はキチンと笑える様に、シリアスになる所はシリアスに、緊迫感のあるシーンはとにかく緊張させるように映像が作られていてとにかく観る側を飽きさせない様になっているんですよね。最初は「この映画って2時間あるのか・・・」とちょっと覚悟しながら挑んだものも、とにかく緩急の付け方や映画自体のテンポが良くて、2時間飽きない造りになってるなとなるんですよね。
突然のタイムスリップで何もかもに時代錯誤な反応を示す侍という鉄板的なギャグはあえて下手な誇張をしていないのに笑えるのに対して、同時に序盤にある「知らない世界に迷い込んでしまった」という戸惑いや哀愁を見せるシーンがとても印象に残っているシーンだったなと思い、コメディなのにコメディじゃない不思議な感覚にもなるんですよ。
またこの手の映画では珍しく、タイムスリップはあくまでも導入作りのためであって、本筋はそういったSF的要素も重要じゃないってのが意外でしたね。
だからこそ周りの人は新左衛門を「侍になりきってる変な人」として終始扱うし、新左衛門は当然そういうSF的思考が無いのでその辺りをなあなあと流していくというのが独特の味でした。
ここからはネタバレを含みます。未見の方は目次から次の項目に飛んでください。
でもこの映画の本筋は、実は共にタイムスリップをし、新左衛門よりも30年前の時代に来ていた彦九郎の登場で定まってくるんですよ。
この映画、なんと途中で新左衛門が現代の生活に馴染んでいった結果、アイデンティティであった「侍の姿」を捨ててしまい、現代人の風貌になっちゃう。これにはビックリしたんだけど、この変わりが本作において重要な要素であった「消えていく時代劇」という部分に重なり、同時に、侍であることも、時代劇自体も捨てた彦九郎=風見恭一郎と重なるんですよね。
でも新左衛門が一つだけ最後まで貫いた物が「言葉遣い」なんですよ。
ずっと侍口調で喋り続ける。とにかくそれは最後まで彼に一貫しているものであり、これが別にキャラ付けに留まらないのがこの映画の出来ている所なんですよ。
恐らく時代は2007年。もう時代劇なんて水戸黄門と大河ドラマくらいしかやってない時代を舞台設定にしたのも秀逸で、まさに時代劇が完全に消えてはないけどもう消えかかってる時代なんです。
そんな時代劇の消えゆく時代に、過ぎ去った時代から来た侍が現代に来て時代劇に触れどう生きるのか。
人は時代の中でどう生きるのか。その中で変わっていくもの、消えていくもの、そして変わらないものを2時間の映画の中で、新左衛門の生き様に重ね合わせながら描いている、そう思わせる映画だったんですよね。
まとめ
いかがでしょうか。
笑えながらもどこか心に残る映画『侍タイムスリッパー』。
上映館数も上映回数も少ない映画ですが、ぜひ見てほしい、とてもオススメできる一本となっています。
というわけで今回はここまで。
それでは次回のブログで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ノシ