みなさんは『ぽんのみち』というアニメを見ただろうか?
このブログを書き始めた頃に最終回を迎えたのだが、個人的には2024年冬アニメにおいて『勇気爆発バーンブレイバーン』と並んで面白いアニメだったと思う作品であった。まあそこまで本数見てないわけですが・・・。
この『ぽんのみち』という作品、麻雀×女子高生の日常アニメをやりながらも、麻雀アニメとしても日常アニメとしても中々に異質なアニメとなっている。
というわけでこのブログではこのアニメがどういう作品なのかを書いていこうと思い、久しぶりの「語りたい」をタイトルに冠したブログにしている。
2期を匂わせて終わった本作、2期があるかもしれないしそうじゃないかもしれないが、とてもいいアニメだったので是非とももっと知られてほしい、そんな思いで書いていこうと思う。
というわけで始めていこう。
『ぽんのみち』とは
まず『ぽんのみち』がどういうアニメなのかかを解説していこう。
『ぽんのみち』は『炎炎ノ消防隊 弐ノ章』の打ち上げでプロデューサーの一人が出した案が始まりとなったアニメ。そのため監督は『波よ聞いてくれ』、『炎炎ノ消防隊 弐ノ章』、『ひきこまり吸血鬼の悶々』の南川達馬になっており、監督が全話脚本もやっている。また、『炎炎ノ消防隊』の講談社繋がりで『五等分の花嫁』の春場ねぎがキャラクター原案をやっているのも特徴だろう。そのため全員乳がデカい。
麻雀というジャンルのアニメ作品自体が珍しいが、本作はそんな麻雀を題材とし、広島・尾道を舞台とした女子高生の日常アニメとなっている。
麻雀で女子高生と言えば『咲-saki-』が有名だが、こちらは競技的な側面での作品であるため明確に違うと言えるだろう。
キャラクター
次にキャラクターをざっくりと解説していこうと思う。
十辺舎なしこ
本作の主人公。苗字の読み方は「じっぺんしゃ」。
好きなバンドのライブ中継を見て家で騒いでいたところを母親に叱られ、どうするかを悩んでいた時に父親から昔経営していた雀荘を引き継ぐ。
麻雀の事は全く知らなかったため雀荘を別荘として自分の遊び場にしようとしていたが、次第に麻雀にハマるようになる。
雀荘で出会った麻雀の精霊である雀のチョンボの声が聞こえる唯一の人物。
広島弁で喋るキャラであり、仕草が親父臭かったりする。
河東ぱい
なしこの友人。
なしことは古くからの付き合いなのか、なしこの母親からは信頼されている。
麻雀自体は知っているらしく、初心者のなしこに比べるとルールを把握している節がある。
徳富泉
なしこの友人。
幼い頃から麻雀をやっていたようであり、ぱいよりも麻雀に詳しい。そのため、初心者のなしこへのルール説明もしていた。
『カイジ』に影響を受けているのか、麻雀を打つと時々カイジなどの真似をしだす。
魚屋の娘なため、魚好き。
また、幼少期のトラウマで鬼が苦手。
麻雀アニメとしての側面
本作は「麻雀」をテーマとしているアニメだが、「麻雀アニメ」としては異質な作りをしているのが本作の特徴だろう。
麻雀作品は上記でも紹介した『咲-saki-』を筆頭に、『アカギ』など競技性を重視したり、賭けなどをして作品を盛り上げるのをするのが基本となっているだろう。
しかし『ぽんのみち』ではそういう要素は無く、身内で仲良く麻雀をするという作品になっている。
(ちなみに賭け麻雀は違法賭博に該当するのでみんなはやめようね)
近年ではゲッターロボが麻雀を打つ漫画があるくらいには「麻雀」というゲームが漫画としてもジワジワと増えてきている実状はあるが、それでも将棋のようにある程度みんながルールを把握していてかつやっている人が有名な物と比べるとルールやゲームとしてはマイナーだろう。
そういった麻雀の「分かりづらさ」を自覚した上での麻雀描写が本作の特徴である。
1話において軽いルール説明はしたものの、細かいルール説明やゲーム描写などはやらずに、大味な部分での分かりやすさを重視しているのが絶妙な物となっている。
例えルールが分からなくてもゲームにおいてのイカサマ行為や違反行為、ゲームを回す上での間違いといった物は何となく分かるだろう。
特に「イカサマ」に関しては視覚的にも分かりやすく、ゲームにおいての「ズル」がルールを知らなくても何となく分かるという物になる。
そのため、作中ではイカサマの解説をしたり、描写として分かりやすくしている。
こういった「イカサマ」を作品の面白さの一つとし、視聴者がキャラクターを嫌いにさせないように描写をしているのはやはり描写としてのバランスの上手さだろう。
例えばなしこの場合、イカサマをしようとして失敗する、もしくはバレてそのまま負けてしまうなどといった描写が何度かある。
しかしこれが成立するのは「競技性を伴わない」という部分と「仲良しメンバーでの身内打ち」という要素が強いためという部分もある。ここのバランスが崩れると「なしこは麻雀でイカサマに走る奴」になってしまうため絶妙な橋渡りと言える。
また、東四局「ギガが減る!」では跳(この頃はまだ会った事が無い)以外全員身内でマッチングした際にはコンビ打ち(同じ卓の仲間と組んで打つやり方)はしないという描写をキチンと入れており、以後の回も跳と麻雀をする際はイカサマ行為をする描写を入れていないという所もポイントだろう。
「身内で打っているからこそ笑える描写」と「ルールを知らない視聴者にも分かりやすい描写」を両立させつつ、「麻雀を楽しんでいる」という描写を丁寧にやっているのが特徴だろう。
また、『カイジ』、『アカギ』という「みんなが知っている麻雀作品」のパロディによる分かりやすさを演出しているのも特徴である。
また「みんな漫画の真似から入る」という初心者あるあるを描写しており、それが「必殺技のように打つ」という演出にしている。
そしてもう一つのポイントは「競技性を伴わない」という部分である。
「麻雀」をテーマとしながらも「麻雀」が目標になっていないのが本作の特徴でもある。
例えば「日常アニメ」の代表でもある「きららアニメ」を例に挙げても、近年の作品では『はるかなレシーブ』、『球詠』、『おちこぼれフルーツタルト』、『恋する小惑星』、『ぼっち・ざ・ろっく』など、「日常+α」の作品では「+α」の部分のテーマに沿った何かしらの目標や、そこへ進むイベントが発生する。
しかし『ぽんのみち』での「+α」である「麻雀」は、あくまで少女5人達の日常においての共通の話題であり、みんなで遊べるゲームの感覚で描写されている。そのため、例えば「大会に出る」や「ライバルや誰かに勝つ」といった目標やイベントが発生しない物となっている。ここが「1クールの日常アニメ」としてのバランスの肝であり、ここで「麻雀」にイベントの比重を置くとまた別の味になってしまうため、本作においては正解だったであろう。
日常アニメとしての側面
次にこのアニメの肝である「日常アニメ」としての側面なのだが、こちらもかなり異質な作りをしている。
本作では学生モノの日常アニメとしてよくあるであろう「学校の描写」、「家庭環境」、「キャラクターのバックボーン」、「誰かの家に集まる」といったことを描いてない、もしくは極力描かないようにしているという特徴がある。
そして本作は麻雀シーンよりも日常シーンの方が多いのだが、それで上記の要素をやるためより異質さが見えてくるだろう。
まず「学校の描写」だが、これは学生がメインの日常アニメとしては切っても切り離せない所だろう。これは学生作品において学校が「みんなの集まる場所」であり、「春夏秋冬の学校イベントが起こしやすい場所」だからである。「みんなが集まる拠点」というのは日常作品に限らずドラマを動かす起点となりやすい。それが日常アニメだと「学校」となるのだ。
しかし本作ではリーチェと跳は違う学校の人間となっている。そのため学校の描写は一切描かず、雀荘を「みんなが集まる場所」とし、細かな春夏秋冬のイベントは「尾道」という大きな箱でやっているのである。
ここが日常アニメとして一つの異質な描き方だろう。
無論『おちこぼれフルーツタルト』の様に学校描写がほぼ無いアニメが他に無い訳ではないのだが、そういった作品は「テーマ」の方に比重を置くため、そういう描写をせずに日常に比重を置いた描き方をしているのである。
次に「家庭環境」や「キャラクターのバックボーン」の部分。
本作において「キャラクターの家庭」が描写されていたのはなしことリーチェと泉のみである。
描かれていると言っても「なしこは一般家庭」、「リーチェはお金持ちのお嬢様」、「泉は魚屋の娘」程度の描かれ方である。
また「バックボーン」という部分でも、麻雀好きな人物として描かれている跳であるが、それ以外は描かれいない。
そして一番何も描かれていないのはぱいだろう。
ぱいは「なしこと泉と同じ学校に通う親友」というキャラクター付けではあるが、他には一切何もなく、「何故この二人と仲がいいのか」、「このキャラの家庭や過去、好きなことなどはは何なのか」という描写はやらずに「かわいいキャラ」としての描かれ方がされている。
上記のようにリーチェ以外に「分かりやすいキャラクターの記号や特徴」が無いにも関わらずキャラクターが描けているのが本作の特徴である。これはやはり「今という日常を生きるキャラクター」をちゃんと描けていたからこそ、描かれなくても不満にならない要素だっただろう。
また、リーチェ自体も「お金持ち」というキャラクターではあるが「お金」での描写でキャラクターを動かす事がほぼ無かったのも特徴である。
東七局「8月1日(ぱいの日です)」では珍しくリーチェのお金持ち描写がギャグとして使われるのだが、これは「友人の誕生日プレゼントにちゃんとした物を送る」事をした結果純金の麻雀牌セットをプレゼントしようとする描かれ方をしており、「善意の価値観のズレ」なため嫌味な描き方ではないという特徴がある。
そして「誰かの家に集まる」だが、例えば日常アニメなら「誰かの家でみんなでお泊り」というイベントやそれに似たことが発生するだろう。
しかし本作では跳がなしこの家に泊まるという描写はあるのだが、あくまで「そういうことがあった」程度の描かれ方で深くは描かれなかった。
これはやはり極力「キャラクター個人に依存する描き方」をしているからこそやらなかった事であるだろうし、雀荘自体が5人が集まる場所として成立しているからこそであり、「学校以外でみんなが日常になれる場所」として機能しているからであろう。
本作における「麻雀」
ここまで読んだ皆さんは疑問に思わなかっただろうか?
「麻雀アニメなのに何故5人なのか」、そして「このアニメに麻雀は必要なのか?」という部分を。
まず「麻雀アニメなのに何故5人なのか?」という部分をボクなりの解釈で書いていこう。
皆さんは知っているだろうが麻雀は基本4人でやるゲームである。そう基本4人でやるゲームなのである。
基本4人なのに5人だと一人余るじゃないかという意見はごもっともである。しかし逆を言うと5人だからこそゲームメンバーが固定されないというメリットがあるのである。
その時に余った一人で他の描写が出来るというのがもう一つのメリットとなるだろう。
次に「このアニメに麻雀は必要なのか?」という部分である。
このアニメは麻雀シーンより日常シーンが多く、むしろ麻雀の要素は要らないのではないか?と思える節がある。実際1クール中1/3近くは麻雀をせずに終わる回が存在している。
結論から言うとこのアニメにおける「麻雀」は重要なピースである。
この5人の内リーチェと跳は麻雀が無ければ繋がっていなかった、出会ってなかった存在である。そしてなによりこの5人が共通で盛り上がれるのは「麻雀」である。
5人は麻雀以外でも仲良く様々な事をしているが、やはり一番盛り上がれるのは麻雀の話題であり、5人を繋ぐものは麻雀に帰結するのである。
そういった部分を考えると「麻雀」は必要であると同時に、麻雀をしない回は「麻雀から始まった仲の麻雀以外での関係性」を描くために重要な存在となっているだろう。
まとめ
いかがだっただろうか?
今回は2024年冬クールにおいてもっとみんなに見てほしい『ぽんのみち』を紹介したのだが、このブログで興味が持ってもらえたなら幸いである。
まあ色々書いたのだが、結局は「見ていけばハマるのでみんな見てほしい」という所である。
2期を匂わせて終わった本作、やはり1クールで終わるにはもったいない気持ちがあるので是非とも続きが見たいという気持ちが強くある。
まとめなのに何だか感想が纏まらなくなってきたので今回はここで切り上げることとしよう。
それでは今回はここまでである。
それでは次回のブログで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。